インフルエンザ予防接種の支援記録~サード八王子の支援のかたち~

こんにちは。
東京八王子市の重度知的障がい者向けグループホーム「サード八王子」の里見です。
朝の通勤途中、いつもの電車が突然の運転見合わせ。
アナウンスは流れるけれど、原因も再開のめども分からない。
「えっ、どうすればいいの?」「間に合うかな?」――駅のホームで立ち尽くし、まさに五里霧中。
皆様、そんな経験はありませんか?
予定していた見通しが崩れると、人は驚くほど混乱します。
「次に何をすればいいか」が分からないだけで、焦り、イライラし、落ち着かなくなる。
それは、誰にでも起こる自然な反応です。
そして、自閉スペクトラム症のある方の場合、
この“見通しのなさ”が、より強い不安や混乱につながることがあります。
今回のブログでは、その「見通し」を整えるために、私たちが実際に行った工夫をご紹介します。

なぜ「突然の出来事」や「急な予定変更」が苦手なのか?

自閉症の人が「突然の出来事」や「急な予定変更」が苦手になりやすい理由を、
3つの視点から、例を交えながらお伝えします。
①「見通し」が立たないと不安になるから
私たちは、今日何をするか、どこへ行くか、誰に会うかなど、
予定が決まっていると安心できますよね。
自閉症の人にとっては、この「見通し」が特に大切です。
先のことが分からないと、不安や混乱が強くなりやすい特性があります。
例:
明日は10時に病院に行くと聞いていたのに、
朝になって「やっぱり午後に変更」と言われると、
「どうして?」「次は何時に出るの?」「昼ごはんはどうなるの?」
と頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう――そんな状態です。
②「情報の処理」や「気持ちの切り替え」が苦手だから
予定が変わると、それに合わせて気持ちや行動を切り替える必要があります。
でも、自閉症の人の中には、この「気持ちの切り替え」がとても難しい方がいます。
例:
「今日は公園に行く」と楽しみにしていたのに、
「雨が降ってきたから中止」と言われると、
すぐには納得できずにパニックになってしまうことがあります。
頭の中がずっと「公園に行くモード」のままだからです。
③ルールや順番を大事にしているから
自閉症の人は、「こうするもの」「いつもこうしている」
というルーティンやルールを大切にしていることが多いです。
予定変更は、そうした“自分の中のルール”を壊す出来事なので、とてもストレスになります。
例:
毎日17時にお風呂、18時に夕食というルーティンがある人にとって、
「今日はお風呂が夕食後になるよ」というだけで大事件です。
「順番が違う」「おかしい」「間違ってる」と強い不快感を抱くことがあります。
これらの理由から、自閉症の人にとって
「突然の出来事」や「急な予定変更」は、とても大きなストレスになります。
だからこそ、
- あらかじめ変更の可能性を伝えておく
- 変更後の予定を「見える化」して伝える
といった支援が、とても重要になってきます。
サード八王子での初めての“予防接種”に向けて
11月。サード八王子では、開所して初めてのインフルエンザ予防接種を実施することになりました。
近隣のクリニックからドクターにお越しいただき、9名の利用者さんが順番に接種を受けます。
医療の場面は、多くの方にとって緊張が伴うものです。
ましてや、自閉スペクトラム症や知的障害のある方にとって、
「何が起こるか分からない状況」は、強い不安を引き起こしやすい場面です。
接種の前に、担当しているAさんのご家族に、過去の注射経験をうかがいました。
「5年前にしました。その時は職員6人体勢で(採血者+5人が補助)、なんとか採血の注射をすることができました。」
当時は、どうしても採血が必要で、拒否されないよう事前説明をせずに実施したとのこと。
つまり、Aさんにとっては“突然の出来事”として体験され、強い拒否反応が出てしまった結果でした。
Aさんは、自閉スペクトラム症と知的障害があり、言語でのコミュニケーションが難しい方です。
また見通しが立たない状況への耐性が低く、強い不安から自傷や拒否が出やすい特性をお持ちです。
家族も職員も、もちろんAさん本人も、誰もがつらい思いをした出来事だったと思います。
私はその話を聞いて、こう確信しました。
「きちんと事前に見通しを整えれば、きっと大丈夫だ。」
その理由は、入所してからの半年間の関わりの中で、Aさんの強みが分かってきていたからです。
Aさんの強みは、“視覚で理解できる力” です。
そこで今回は、“Aさんの強み”を中心に手順を整えることから始めました。
事前準備 ― Aさんの強みを生かして
今回、私たちが行った“準備”のポイントは、次の4つです。
①絵カード提示(流れを理解する)
「①接種場所に行く → ②並んで待つ → ③椅子に座る → ④注射を打つ → ⑤10秒我慢する」
という一連の流れを、絵カードで提示しました。
「何が」「どんな順番で」起こるのかを、視覚的に示すことで、頭の中の見通しをはっきりさせます。

②モデリング(様子を見る)
他の人が接種している様子を見てもらい、当日の雰囲気を事前に感じてもらいます。
今回は、職員(里見)が疑似注射を受けている様子を見てもらいました。

③ロールプレイ(体験で学ぶ)
実際の針ではなく、ホビー用注射器を使って事前練習をしました。
椅子に座る、腕を出す、10秒我慢する、といった動きを体験しておくことで、「体で覚える」準備です。
「知らないこと」ではなく、「見たことがあること」にしておくことで、不安を下げるねらいがあります。

④フィードバック(正解を知る)
できた直後にOKサインやハイタッチで、
「今のやり方で正解だよ!」
と分かりやすく伝えました。
「何が良かったのか」がはっきりすると、次も同じようにやりやすくなります。

事前練習の様子
接種日の数日前、Aさんと事前練習を行いました。
スケジュールに「注射」の絵カードを貼ると、
Aさんは顔を近づけ、ひとコマずつ食い入るように確認していました。
注射の写真を見ても、落ち着いた様子のままです。
職員が絵カードを指差して流れを示し、接種場所へゆっくり誘導すると、
Aさんは拒否なく自分の足で歩いていきました。
会場では、まず職員(里見)が実際に注射を受ける様子を見学してもらい、
当日の手順と雰囲気を共有しました。
Aさんは注射器をじっと凝視し、
「これから自分に起こること」を理解したような表情をしていました。
合図に合わせて椅子に座り、拒否なく腕を差し出し、
タイマーを見ながら注射器を腕に軽く当てる練習もスムーズに完了。
最後まで落ち着いて取り組むことができました。
当日の様子
いよいよ、接種当日です。
Aさんは手にしたスケジュールカードを何度も見直し、
職員の誘導に合わせて接種場所へ向かいました。
表情には少し緊張が見られましたが、立ち止まることなく前進します。
待ち時間のあいだも、ほかの利用者さんの接種を静かに見守りながら、
ときどきカードに触れて流れを確かめていました。
「次、座るよ」と短く伝えると、Aさんはゆっくりと椅子へ。
ドクターに「怖くないよ」と優しく声をかけられると、
Aさんはわずかに体をこわばらせつつも、腕を静かに差し出しました。
注射されている間も視線をそらさず、
約10秒間、動かずにじっと耐えています。
職員が腕を軽く押さえるのみで、身体拘束はゼロで終了しました。
接種後にハイタッチを向けると、小さく手を返してくれました。
その一瞬に、職員は胸の内でそっとガッツポーズをしました。
後日談と学び ― 構造化は“やさしさ”のかたち
後日、「今回は押さえることなく無事に接種できました」とご家族へご報告すると、
「できたんですね。びっくりです。ありがとうございました。」
というお言葉を頂きました。
5年前は「6人がかりで行った」注射が、今年は「自ら座って受けられた」。
この変化は、Aさんのがんばりであり、
Aさんが理解できるように環境を整えた結果でもあります。
「本人が頑張る前に、環境を頑張らせる」
それが、サード八王子の支援の根っこにある考え方です。
安心できる環境、分かりやすい手順、信頼できる関係――
その3つがそろって初めて、「できた」は生まれます。
サード八王子はこれからも、“視覚や体験で伝える工夫”を大切にし、
誰もが自分のペースで「できた」を積み重ねていける支援を続けていきます。
次回も、日々の気づきをお届けします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


