「自閉症」との出会いを通じて「支える」事の意味を考える

- 自己紹介
はじめまして、サード八王子の世話人をしております吉野と申します。
これまで保育や介護の経験はありましたが、障害者福祉の世界というものは学生時代の実習で学ばせて頂いた機会が1度、それももう十数年も前の事です。
ですから現在の障害者福祉のあり方や考え方といったものは時折図書館の福祉の雑誌に目を通して
「いやぁ、本当に尊いお仕事だなぁ」
などと思うぐらいのものでした。
- きっかけ
そんな私ですが、昨年とある自閉症の少年とその家族と交流する機会がありました。
それ以来、頭のどこかであの時の彼や家族の様子が浮かび、
「あの子やその家族にとっての『良い』とは何だろう。
その為に必要な事の少しでも、私にできることはあるだろうか」
と思うようになりました。
そんな思いを抱えながら暫くの間過ごしていた所、社会福祉法人SHIPと出会いました。
正直に申しますと、施設見学をさせて頂いてから入職のお返事をするまで随分と悩みました。
これまで知的障害を抱える方や自閉症の方と触れ合う機会殆ど無かった為に何となく怖いと思ってしまう、夜勤が嫌だ、仕事が大変そうで未経験の自分には無理、などといった理由ではありません。
- 『から回る』という事への恐怖
理由は一つ。
それは利用者様やご家族様の支えになりたいという気持ちに対して、学んだ知識も古く経験もない私では空回りしてむしろ迷惑をかけるだけではないか。という心配。
なぜ、そのような理由で悩んでしまうのかというと、これには私の過去の経験とそれによって形成された性分というのが関わってきます。
私はこれまで北陸と東北で四回の震災と一度の大水害を経験してまいりました。
そのうち被災地での活動は三回、避難先での避難者への支援活動の経験は二回あります。
さまざまな形で災害に見舞われた方々と関わる中で、何度もやる気はあるのに能力や知識や経験が足りていないが故に、納得できる形での支援活動ができなかったという現場をいくつも経験しました。
おかげで色々と技能や知識は身に着けましたが、それでもあの日あの時こうする事が出来なかったという後悔がいつまでも残り続けました。
それはやがて『自分は知識も経験もない事に対して、やる気だけの人になってはいまいか』という小心な性分を形作りました。

- 『支えて、そして支えられて』が循環する場所
それでも、見学に訪れた際に社会福祉法人SHIPとして、そしてグループホームサード八王子で取り組んでいる支援の在り方について説明して頂いた事で、どこか漠然とした不安は無くなりました。
『TEACCHプログラム』と『構造化支援』という支援の在り方のもとで、ご利用者様に携わるすべての職員が意見や情報を交換し、支援のアップデートに取り組む。
利用者様はそれに対してリアクションで返してくれる。
万事が全て上手くいくなんて事はない、だからこそ試行錯誤を続けていく。
そこにゴールはありませんが、次へ進み続ける事で良いも悪いも必ず何かしら得るものがあり、少しでもそれが知的障害や自閉症と向き合う全ての方々にとって『良い』に繋がるのなら私はどんな事にでも挑戦してみたいという気概が持てるようになりました。
入職して最初の春を迎え、新緑と花々に萌える里山に囲まれた日々を送る中で、自身の未熟さや至らなさに顔を青くするばかりではありますが、頼れる先輩方とサード八王子で生活するご利用者様の快活な姿に支えられています。
そして帰宅後はいつか空回りなどではない本当の『良い』支援が出来るようにと、机に向かいその日を振り返りつつ背筋を伸ばし腰骨を立てています。


